彼の後悔



 次の日、兄や両親に見送られ小夜達は、帰路に着いた。家族との再会を無事に済ませた小夜の心は晴れやかで、これからの生活に思いをはせる。
 それとは反対に保の顔は暗かった。その様子に最初は何があったのかと心配していた小夜だったが、だんだんと鬱陶しさを感じ始めた。
 しかし、保はそんな彼女の様子に気づくことはなく何度も溜息をつく。

 「あー、もう鬱陶しい!! 何なのよ」
 「…………いいえ、何でもないっす」
 「せっかく、パパやお兄ちゃん達のお許しを得ての新生活だっていうのに水を差さないでくれない?」
 「その新生活が問題なんすよ。お嬢」

 単純に親公認の自立した新生活に希望をはせる小夜とは違い、兄からの命令を遂行しなければいけない保の悩みは尽きない。
 そんな彼に対して一人だけ知恵を授けてくれ人物がいた。それは、館林兄妹の次男・秀吾。

 「何?」
 「これは親父さん達と話し合った結果なんすけど、向こうでは本名は使わないで下さい」
 「どういう事?」
 「つまり家出している時と同じように、高塚小夜を名乗って生活してくださいってことです」
 「つまり、館林美麗って名前を使うと不都合な事態が起きる可能性があるって事?」
 「そうです」
 「分かったわ」

 秀吾の言っていた通り、親父さんの存在を出すと小夜は、疑いを持つことなく即答する。それに安心しつつも、少しばかり危機感も生まれる。
 この調子だと親父さんの名前や存在を誰かがちらつかせたら、誰にでも従ってしまう気がするのだ。
 ここ数カ月、一人で暮らしていたとしても正真正銘箱入り娘であることには違いない。これを機会に警戒心という言葉を覚えさせなければと決意を新たにする。
 
 「そう言えば、お嬢は学校はどうするんですか?」
 「通わないわよ。働くんだし」
 「そう言うと思いました。鬼頭さんからの伝言で平日はきちんと学校に行きなさいとのことです」
 「えぇ? 今さら行けないわよ」
 「鬼頭さんの知り合いが経営している私立高校に手続きしておくそうで。帰ったら制服とか一式届いているはずですよ」
 「ちっ! よけいな事を…………」
 「お嬢。いくら勉強が苦手だからって、駄目ですよ。だけどお嬢にとってはいいと思いますけど」
 「どこが?」
 「お嬢が通うのは、音楽科らしいです」
 「は?! よけい駄目じゃないの!! ここ数カ月まともに練習してないのよ? いきなり音楽エリートの集まりに放り込まれても困る!!」
 「でも、数か月でしょ?」
 「あんた、馬鹿? 一日でも練習を怠れば、その一音にすぐ出るわ。今の私の状態は、どれだけひどいか…………。あぁ、帰りたいかも」
 「せっかく体の調子がいいんですから、学生生活を楽しんで下さいよ。友達を作ったり遊んだり、色々あるでしょ?」
 「さっきから、あんたは喧嘩売ってるの?」
 「違います。心からそう思ってるんです。それに、その学校には俺の知り合いもいるんで友達は出来やすいですよ」
 「ふん。よけいなお世話よ」

 小夜は、保の保護者気どりが気に入らないのかそっぽを向く。しかし、保は彼女の顔が耳まで紅く染まるのを見て吹き出しかける。

 (あいかわらず、天の邪鬼なんだからな。まぁ、そこが可愛いんだけど)

 昔から体が弱かった小夜には、なかなか友人が出来なかった。まったくいないわけではないのだが、親友と呼べるほど深く関係を持つことが難しかったのである。
 だからこそ学生生活を楽しんで欲しいというのは、保の心からの本音だ。
 あの学園は、夜叉族の子供や関係が深い人間の子供も多い。もちろん、かの一族の子供も。
 兄の思惑とはちょっと外れるがあそこが一番適しているのだ。
 強度は弱いが結界も張ってある上、力を持っている人間がごろごろいるのだから。何にしろ、小夜の学生生活が実り多いものになることが一番だ。


 「やぁ、お帰り。どうだった? 久しぶりのお家は」
 「家族に会えた良かったです。でも疲れたのでもう休みます」
 「お嬢!!」
 「楽しかったんじゃないのか? ご機嫌斜めだねぇ。あぁ。あの子は、あたしが寮まで連れてくよ」
 「本当にどうしたんだい?」
 「鬼頭さんのせいですよ」

 むくれた小夜とそれをなだめる緋乃を見送った保は、ちらりと鬼頭を見て溜息をついた。しかし、小夜の怒りの原因がまったく分かっていない彼は首を傾げている。
 まぁ、それは仕方ないだろう。鬼頭からすればまったくの親切心から提案しているだけなのだ。

 「学校の件でちょっと」
 「あぁ、部屋も突貫工事で完全防音にしてあるから。好きな時間に練習していいよ」
 「それが原因なんすよ。お嬢の機嫌の悪さは」
 「は? 何で? 彼女は、音楽が好きなんだろう? それに才能があるって家庭教師達が太鼓判を押したそうじゃないか。彼らは、業界では有名所だ」
 「うーん、家出していた期間がまずいらしいです。まともに練習していないのにいきなりエリート集団に放り込むのかと」
 「あそこは、新設されたばかりの学校だし他の伝統ある学校よりはぎすぎすしてないと思うよ。まぁ、百聞は一見にしかずと言うから」
 「そうだといいですけどね」
 「とりあえず、百合ちゃんに彼女のフォローを頼んでおいたし。ただ…………」
 「ただ?」
 「見事に夜叉派と鬼克派に分かれているらしいよ」
 「はぁ? どういう事ですか! そんな処にお嬢を放り込むなんて」
 「実地で感じて知ったほうがいいだろう? 夜叉と鬼克の現実を」

 保は、うっかり鬼頭を信用してしまった自分の浅はかさを後悔する。だが、彼の言う事にも一理あるのだ。小夜は知らないのだ夜叉とは何か、そして鬼克とは何かを。


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